COLUMN
2024年12月
カナレットの赤とヴィヴァルディ
「ヴィヴァルディの音楽を深く理解するためには、カナレットの赤を観るべきです」
かなり昔のことになるが、あるイタリアのバロック・アンサンブルのコンサートマスターから、そう言われたことがあった。
以来、ずっとカナレットの赤を意識し続けている。
身近なところでは、東京ディズニーシーの中に、運河に囲まれた「リストランテ・ディ・カナレット」というレストランがあり、バロック期のヴェネツィアを象徴する画家カナレット(ジョヴァンニ・アントニオ・カナル 1697-1768)の風景画が飾られているのを観ることができる。
だが残念ながら、そこに鮮やかな赤をほとんど認めることはできない。
一体カナレットの赤とはどのようなものなのか?
その手がかりは、やはり本物のカナレットの風景画に接することによって得られる。
2024年の暮れまでSOMPO美術館で開催されていた「カナレットとヴェネツィアの輝き」展は、日本初の本格的なカナレットの全貌を紹介する貴重な展覧会だった。
アントニオ・ヴィヴァルディ(1648-1741)の生きていた時代のヴェネツィアが一体どのような街だったのか――タイムスリップしたかのような臨場感で生き生きと、カナレットの作品群は伝えてくれる。
カナレットの風景画は、当時グランド・ツアーの観光旅行でやってきた英国人貴族らにヴェネツィアへの旅のお土産として人気を博していた。
その壮大な構図、光と影のコントラスト、広い空と海の香りは、のちのターナーらにも影響を及ぼすほど魅力的であった。
18世紀のヴェネツィアは、地中海における東方貿易の権益を独占した往時の繁栄からはすっかり衰退していた。だが中世以来の歴史を持つ共和国の誇りと華やかさだけは、まだ残している――。
遠くから眺めているときと、息がかかるほど絵肌に顔を近づけて細部を見るときとでは、絵の印象はえてして全く違う。
カナレットの風景画も、そうやって微視的に観察してみよう。
たとえば「カナル・グランデのレガッタ」(1730~39年頃)では、大運河を使った華麗なボートレースの模様が描かれている。
運河沿いの岸辺の道路や立ち並ぶ建物のすべてからは、熱狂し歓呼する人々の姿が大勢見える。美しく飾り立てられたレガッタと洒落た服装の漕ぎ手たちの様子も活写されている。
そのあちこちに光る、赤い布地の何と鮮やかなことだろう。
「昇天祭、モーロ河岸に戻るブチントーロ」(1738~42年頃)に描かれているキリスト昇天祭は、毎年5月か6月に行われ「海とヴェネツィアの結婚式」と呼ばれるほど重要なフェスティバルである。
この絵に描かれた多くのゴンドラにも、赤い布地や赤い服が少しではあるがあちこちにあって、華やかで格調高い存在感を示している。
そう、この強烈な色彩のコントラストこそ、きっとヴィヴァルディの音楽なのだ。
今回のSOMPO美術館の展示では、カナレットのみならず、19世紀以降のヴェネツィアを描いたモネ、シニャック、ブーダン、そしてホイッスラーらの作品も少し紹介されていた。
そこで興味深かったのは、カナレットの風景画が英国貴族らの観光みやげ用として、ヴェネツィアでも特に有名なサン・マルコ大聖堂や祝祭の様子を華やかに描いていたのに対し、ロマン派以降の画家たちはそうした名所よりは、暗い裏路地や運河の片隅を主観的に描くことに腐心している点であった。
そこから感じ取れるのは、共和国の在りし日の栄光をしのばせる華麗なるヴェネツィアではなく、退廃と死の香り漂うヴェネツィアである。
こうした画家たちの眼を通した、さまざまな時代の街の風景を知ることは、その土地にゆかりある音楽を楽しむ上でもまたとないヒントを与えてくれる。
「昇天祭、モーロ河岸に戻るブチントーロ」の一部。深みのある赤だけでなく、輝くような小さな白も効果的に使われている。これもヴィヴァルディ的と言えるだろう