COLUMN
2024年5月
墓場と美術館
いままでの人生の中で、特に良かったと思う静寂の時間を思い出してみる。
たとえば、30数年前に初めてウィーンに滞在したときのこと。
厳冬の頃に1週間、ほとんど誰にも会わずに一人きりだった。
現地に知人はいたけれど、できるだけ避けて会わないようにした。
訳知り顔で案内されたくなかった。
どうしても最初は、自分だけの第一印象を作っておきたかった。
真っ先に向かったのは中央墓地だ。
モーツァルトの記念碑を中央に、周りをぐるりと取り囲むように、ベートーヴェンやシューベルト、ブラームスやヨハン・シュトラウス2世の墓がある、あの場所。
季節柄、底冷えするので観光客が来てもすぐに帰ってしまう。
おかげで、作曲家たちとの時間を、一人きりで思う存分楽しむことができた。
曇り空の下の荒涼とした林は、マーラーの晩年の交響曲みたいな風情があった。
2時間くらいは墓地にいたと思うが、気分が高ぶっていたので少しも寒さを感じなかった。
どの街でも、芸術家たちの眠る墓地はいいものだ。
静かで落ち着くし、一対一の関係を芸術家と結ぶことができるから。
夜は国立歌劇場や楽友協会大ホールに通い、昼間は主に美術館を巡った。
特に印象に残るのは、ヨーロッパ屈指の質と量を誇ることで知られる美術史美術館だ。
半日くらいかけてゆっくりと全館を歩いたが、気の遠くなるような膨大な展示。
中でも、「バベルの塔」「幼児虐殺」「子供の遊戯」など、ピーテル・ブリューゲル(父)の貴重な絵画をずらりと並べた大部屋は素晴らしかった。
罪深いものや人間臭いものを容赦なく描き出す、その格調高いリアリティとスケール感に圧倒された。
がらんとした館内を、自分の靴音だけがコツンコツンと響き渡る。
閉館間際まで一人歩く私の少し後ろを、程よい距離を保って守衛がゆっくりとついてきた。
彼の靴音も、少し遅れてコツンコツンと響く。
振り返ると、目が合ってニヤリと微笑み返してきた。
あの1週間は、本当にずっと黙って過ごしていた。
ホテルの部屋に帰って、手帳にメモを書いた以外は、一言も日本語を話さなかった。
無駄なおしゃべりをしないだけで、聞かないだけで、随分賢くなった気分になれた。
毎日少しだけ、片言のドイツ語を使ってみるのは楽しかった。
インターネットがなかったのも幸いだった――誰にも邪魔されずに、ウィーンという街を五感で感じることができた。
あの感覚――孤独という鋭敏なアンテナの状態――を忘れずにいたいと思う。
ウィーン美術史美術館で当時購入した絵葉書(ブリューゲル「幼児虐殺」「子供の遊戯」、デューラー「梨の聖母子」)