COLUMN
2024年10月
黒く神秘的な「紫式部聖像」に思う
寛弘元年(1004年)に紫式部が7日間こもって構想を練り、琵琶湖に映える月を眺めながら「源氏物語」を起筆して「須磨」「明石」の二帳を書いたという伝説によって知られる石山寺(滋賀県大津市)に、念願かなって参詣することができた。
硅灰石の巨岩の上にある重厚な本堂(平安時代の建築で国宝)には、紫式部がこもったという「源氏の間」があり、その折に使用したとされる硯も残されている。
江戸時代には松尾芭蕉、井原西鶴、近松門左衛門、近代には与謝野晶子・島崎藤村・三島由紀夫ら古今の作家・文学者らが訪れた「文学の寺」としても知られる。古今の多くの画家や俳優らもここを訪れている。
後世に影響を与えた偉大な芸術作品のはじまりという意味でも、石山寺は記念碑的な場所であり、少しでも良い文章を書きたいと願う者なら一度はお参りしておきたい聖地である。
境内の険しい坂道を登り切ったあたりにある豊浄殿では、「紫式部とほとけの道」という特別展示がおこなわれていた。
石山寺の観音信仰に紫式部への思慕が結びついて、物語の着想を練る式部の姿に観音がオーバーラップされた歴史もあったという。
現存最古の紫式部の肖像画「紫式部聖像」(室町時代)もそこで観ることができた。
何よりも印象的なのは、この聖像の背景が神秘的な黒となっていることで、日本古来の絵画では大変珍しいのではないだろうか。判読困難な文字がびっしりと書かれていることも、謎めいた雰囲気をさらに強めている。
この聖像の前で「源氏供養」(罪深い物語を書いたために地獄に落ちた紫式部の霊を供養する。能の名作としても知られる)が実際に営まれたのだそうだ。
他にも、室町、安土桃山、江戸、明治と数百年にもわたって描かれた紫式部や源氏物語を題材とした絵画作品は実にさまざまであった。
多くの場合、紫式部は文机と紙と硯を前に座り、手には筆を持ち、月を眺めて物思いに耽っている。その共通性も面白かった。
これらを観ながら思ったのは、偉大な古典芸術とは――文学のみならず絵画や演劇や音楽などあらゆるジャンルにおいて――原典のみが全てではなく、後世の人々がどのようにそこからイメージを膨らませ、継承・発展させてきたか、その自在な変容も含めて豊かなものたりえているという事実である。
あえて言うなら、石山寺の展示は、紫式部と源氏物語を最初のテーマとする、数百年にもわたる人々が織りなして作り上げた、壮大なスケールの「変奏曲」のようにも感じられた。
室町時代に描かれた「紫式部聖像」。石山寺発行の図録「紫式部と石山寺」から。実物は見上げるように大きく、背景の黒は古色蒼然として神秘的である。切れ長の細長い目のなかの瞳ははっきりと判別できた