COLUMN
2025年2月
チェリビダッケの知恵の言葉
先月から今月にかけて、早稲田大学エクステンションセンターで昨年以来2度目となる講座を開催させていただいた。
今回は「歴史を変えた名演奏家たち」というテーマだったが、予想以上に多くの方々が参加してくださり、講座の後の打ち上げも毎回盛り上がって、楽しい会になった。
これまでいろいろな場所でクラシック音楽の講座をやってきた中で、今回初めて昔の巨匠たちの映像ばかりを紹介する趣向にしたのも良かったようだ。
音だけに集中して楽しんでもらうのも良いけれど、視覚をともなうと情報量がやはり違うし、初心者にもわかりやすくなると感じた。
準備の段階で、これを機にいろいろな映像を観直してみて特に触発されたのが、ルーマニア出身の大指揮者セルジュ・チェリビダッケ(1912-96)の晩年の様子を息子セルジュ・イオアンがまとめた映画「チェリビダッケの庭」である。
映画そのものとしてはやや散漫なのだが、時折挿入されるリハーサルの模様やレッスン風景でのチェリビダッケの言葉が、とても面白かった。
私自身、高校時代にNHK-FMでチェリビダッケ指揮シュトゥットガルト放送響のライヴを多く聴き(青年期特有の集中力であれほど一心不乱に聴いたことはなかった)、来日公演にもできるだけ足を運び、取材も熱心におこなって、圧倒的な影響を受けているのだが、その原点を久しぶりに確認する思いだった。
いくつか、今回見つけた、若い音楽学生に向けたチェリビダッケの言葉を抜き出してみる。
音楽が展開する上で――「始まり」に関係しないことがあるだろうか?
「始まり」から発生しないことは?
あり得ない!
「現在」に関係しない「終わり」が一体どこにあるだろう?
ところで 始まりと終わりは触れることのない両極点だ
実生活では実感もしないし理解もできないこと
理解はしても受容できないこと
それは始まりと終わりの同時性だ
もしも君が4小節でも正しく指揮できたなら――それは全て――「始まり」に内包される「終わり」を生きて体験できたからだ
君に何を与えたか私にはよく分からないが
この2~3週間で君に少しでも変化があったことが貴重なのだ
それは、良い悪いじゃなく――君が君自身に近づいているということだ
この真実を体得しなさい
始まりと終わりについてのチェリビダッケの言葉は、やや難しいけれど、音楽作品を一つの有機体、秩序を内包した完全なる小宇宙として捉えるならば、とても美しい思考だし、音楽の調和を感じたことのある人なら、じゅうぶん共鳴できる考え方ではないだろうか。
そして、後半の言葉は本当に素晴らしい。
良い変化なのか、悪い変化なのかが問題なのではなく、「君が君自身に近づいているかどうか」が大事なのだということ。
これは音楽に限らず、あらゆる勉強している人、仕事で悩んでいる人、人生に迷っている人に向けた励ましの言葉でもあるだろう。
他にも今回の講座を機会に、カザルスやリヒテルやアーノンクールらの映像の中から、知恵の言葉をたくさん見つけることができた。機会があればいろいろな場所でまた紹介していきたいと思う。

生前は録音を拒否していたチェリビダッケだが、その独特な巨大で精緻な音楽が、若い世代の音楽ファンからも注目されており、いまでも新しく発掘されたライヴ録音(写真は1985年のブルックナー第8)がリリースされ続けている