COLUMN
2025年7月
聖なる空間の音楽体験
約20年前の初夏、イタリア中部にあるスポレットという小さな町を訪れたことがある。
そこでは「ドゥエ・モンディ(2つの世界)」という由緒ある音楽祭が開催されており、そのオープニング公演として演奏されるヴェルディ「レクイエム」を聴くのが目的だった。
古代ローマ以来の歴史をもつ町というだけあって、旧市街は石畳に覆われており、その中心部に大聖堂が建っていた。
コンサートはそこでおこなわれるのである。
開演前、大聖堂前の広場は、黒のスーツやドレスで着飾った人々でいっぱいだった。
白っぽい石造りの古い町並み。抜けるように青い空。そして、一人残らず黒で決めたイタリア人たちの姿はダンディで粋に見えた。
町の自慢の音楽祭に対する誇りと敬意がそこには感じられた。
まるで映画の中のワンシーンのようだった。
大聖堂に一歩入ってみて、思わず立ちすくんだ。
舞台の周囲だけでなく、客席の四方を囲むように、あらゆる場所に、びっしりと数千本の蝋燭の炎が揺らめいていたのである。
壮観としか言いようのない幻想的光景であった。
やがて、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団と合唱団が祭壇の前に着席し、指揮者のリッカルド・シャイーが姿を現した。
拍手が止み、棒を振り下ろすと、厳かに静かな祈りの音楽が空間を満たしていく――それは、なんと非日常的な、豊かな残響だったことだろう!
コンサートホールの常識で考えたら、お風呂場みたいに共鳴しすぎて、これはいくら何でも響きすぎということになるだろう。
だが、音楽を分析的に聴くなどという状況ではなかった。
何しろ数千本の蝋燭が揺らめく大聖堂――そこでヴェルディ「レクイエム」なのだから。
「怒りの日」では津波のように大音響が客席に押し寄せ、もみくちゃになった。
もう前後左右わからないくらいの音のカオス状態――だが、それが素晴らしかった。
聖なる音のエネルギーが、響きの奔流が、あれほど身体全体を幸福に包み込んで、どこかに連れ去られるような気持ちになったことはない。
ふと隣を見ると、若く美しいイタリア人女性が、人目をはばかる気配もなく、上半身をのけぞらせて揺らしながら、白目を剥いて口を半開きに恍惚となっていた。
その表情は、17世紀の有名な彫刻、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの「聖テレジアの法悦」と全く同じものだった。
あまりにも彼女がゆらゆらと大きく揺れるので、隣の私に何度もぶつかりそうになったのを覚えている。
聖なる空間での祈りの音楽というと、私はいつも、スポレットの大聖堂で無数の蝋燭の炎に囲まれながら聴いたヴェルディのレクイエムを、そして隣の席にいた女性のあの様子を思い出す。

東京都内でもっとも壮麗な神聖空間を体感できる場所のひとつが、東京カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック関口教会(文京区関口)だろう。丹下健三建築の傑作。しばしばコンサートもおこなわれるので、ぜひ足を運ばれることをおすすめする。