COLUMN
2025年9月
夏の終わりに~ヘッセ、シュトラウス、リヒター
ようやく長い夏が終わろうとしている。
札幌はもうすっかり秋だろうか。
東京はまだ蒸し暑い日もあり、街のあちこちに生暖かい空気が残っている。
夏の終わりになると、いつもヘルマン・ヘッセの詩「九月」を思い出す。
最近は夏も長引く傾向があるので、この時期に味わう詩としてはぴったりである。
冷たい雨の中に庭が悲しみ、夏が身ぶるいする様子を描いた第一連に続いて、第二連はこんな詩句で始まる(新潮文庫版の高橋健二訳より)。
「金色のしずくとなって、木の葉が一枚一枚、
高いアカシアの木から落ちる。
夏は驚き疲れて
死に行く庭の夢の中にほほえむ。」
人生の喜びの盛りを過ぎて、疲れを見せながら夏は力なく微笑む――
過去の青春をなつかしく思うすべての人の心に響くような詩句ではないだろうか。
第三連はこう締めくくられる。
「まだ長い間バラのもとに、
夏はとどまり、休らいを慕い、
おもむろに、大きな
疲れた目を閉じる。」
まだ長い間バラのもとに夏はとどまる――この季節にいつも私は脳裏に繰り返すほど、気に入っている詩句である。
そして、夏が大きな疲れた目を閉じる――冷たい雨に沈む庭の風景にそれが重なって見える。
何と幻想的で豊かなイメージだろうか。
最晩年のリヒャルト・シュトラウスは第2次世界大戦後の荒廃した状況下でヘッセの詩と出会って感銘を受け、「4つの最後の歌」のうち3曲「春」「九月」「眠りにつくとき」をヘッセの詩に作曲した。
上記に紹介した詩はそのうちの一つである。
ヘッセは1962年まで生きているので、当然自分の詩にシュトラウスが曲をつけたことを知っていた。作曲家宛てに感謝の手紙も書いたらしい。
ドイツ・ロマン派の夕暮れのようなこの壮麗な名作をヘッセはどのように受け止めたのだろうか。
ドイツ語版のウィキペディアによると、ヘッセとシュトラウスはスイスのホテルで偶然会っている。
ヘッセはシュトラウスの音楽を華美に感じ、あまり気に入らなかったようである。
ファシズムのドイツを嫌ってスイスに移り住んでいた平和主義者のヘッセは、ナチス政権下で音楽界の指導的立場にあったシュトラウスのことを好ましく思わなかった可能性もある。
ただ、壮大なオーケストラ版ではなく、つつましい響きのピアノ版の歌曲を聴いていたら、印象は変わっていたかもしれない。
ちなみに、ドイツの文学と音楽における二人の巨人が出会ったスイスのホテルとは、シルスマリアのホテル・ヴァルトハウスとみて間違いない。
このホテルを愛した常連客の名前を挙げると、ヘッセやシュトラウスのほかに、フリードリヒ・ニーチェ、トーマス・マン、アルベルト・アインシュタイン、テオドール・アドルノ、ルキノ・ヴィスコンティ、クララ・ハスキル、ブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラーといった人々がいる。
現代を代表する画家ゲルハルト・リヒターはシルスマリアのホテル・ヴァルトハウスを何枚か絵にしているが、その夢のような雰囲気には、かつての古き良きヨーロッパの残照ともいえる場所へのオマージュがこめられている。
https://www.gerhard-richter.com/en/art/paintings/photo-paintings/landscapes-14/sils-maria-10644
夏の終わりのヘッセの詩から始まって、シュトラウスの音楽、そしてリヒターの絵にまで脱線してしまったが、こうして芸術のジャンルをまたぎながら想像の翼を広げていくことは、この上もない贅沢である。

夏の夕暮れの東京・銀座通り。
