COLUMN
2026年6月
利用されたロマン主義~プフィッツナーとフリードリヒとナチズム
林田直樹
ひとつの音楽体験が忘れられないでいる。
2026年1月におこなわれた、セバスティアン・ヴァイグレ指揮読売日本交響楽団の定期演奏会での、プフィッツナーのカンタータ《ドイツ精神について》の日本初演である。
タイトルだけ聞けば身構えてしまうかもしれない。
しかし実際に音楽が始まると、そういった警戒心はすっかり消えてしまう。
19世紀前半ドイツの詩人アイヒェンドルフの詩を用いたその音楽は、ワーグナーやマーラーの系譜に連なるドイツ・ロマン派末期の爛熟した美しさに満ちている。
ハープとオルガンが絡み合う官能的でスケール豊かな響き、夜の庭園の情景を描く場面でオーケストラの中から聴こえる古風で不思議なギターの音色、保守的でありつつ、他の作曲家にはない個性や実験性もあった。
この曲は、最後には魂の上昇のビジョンとともに、あたかも高い山の頂上から見下ろす雲海のようなイメージへと開けていく。
そのときふと想起されたのが、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの有名な絵「霧の海の上の旅人」(1818年)である。
霧に覆われた山々を見下ろす孤独な後ろ姿。
さすらう旅人が自然の崇高さに触れて、畏敬の念を抱くのか、未知の世界への憧れを胸に抱くのか――あの絵は、ドイツ・ロマン派の核にあるイメージといえるだろう。
それが、後にナチス・ドイツによって好んで利用されたということを、二人の論者が明確に指摘している。
アイルランドの作家ダラン・アンダーソンは「カスパー・ダーヴィト・フリードリヒとナチズム」(『ヒストリー・トゥデイ』誌、2019年1月16日)において、フリードリヒの絵をヒトラーがいかに自らの権力欲を正当化する道具にしていったか、その過程を詳細に解き明かした。
英国の美術評論家ジョナサン・ジョーンズは「ドイツの過去の亡霊」(『ガーディアン』紙、2001年2月19日)において、ヒトラーが利用したフリードリヒが、実際には独裁者の野心を空虚にする風刺家であったという解釈を示した。
いずれの論者も、フリードリヒの絵が“本来の意味を裏切られる形で”政治利用されていった過程を鋭く描き出している。
孤高の人物像は征服者の象徴としてヒトラーによって読み替えられ、広大な自然はドイツ民族の「生存圏」の表象とされた。
もちろん画家のフリードリヒ自身にその意図はまったくなく、実際には権威への批判者ですらあった。
彼の絵画が本来描いていたのは、自然の広大さの前での人間の矮小さ、帝国の傲慢への警告だったという解釈もある。
にもかかわらず、その絵はナチズムに接合されてしまったのだ。
プフィッツナーの音楽も似た運命を辿った。
1922年のベルリン初演当時、第一次世界大戦の敗北と屈辱的なヴェルサイユ条約のさなかにあったドイツで、この曲は自信を失った人々を慰め、勇気づける役割を担った。
そして歌詞の末尾には「この国は今や自由なのだ」という詩句が現れる。
アイヒェンドルフが19世紀初頭に書いたその言葉は、時代の文脈によって全く異なる意味を帯びてしまう。
読響の演奏に心動かされながらも、個人の内面や自然の美しさへの感動を、「国」や「民族」の誇りへと接続してしまうことの危うさも同時に思わずにはいられなかった。
ロマンティックなものは、感情を揺り動かす力が強いからこそ、利用されやすい。
ナチスがワーグナーを政治利用したことは有名だが、それだけではない。バッハもベートーヴェンもモーツァルトも、リストもシューマンもブラームスも、すべて利用した。
戦後のドイツが苛烈なまでにナチス時代への自己批判と反省をおこなったことと、芸術における前衛主義の過激化は大いに関係がある。
平たく言えば、もはやロマン主義への素朴な回帰は許されないからこそ「現代音楽」が成立した。
ロマン派の美が人を惹きつけるのは、しばしば“失われたものへの憧れ”を刺激するからだ。
「ノスタルジア」という言葉がある。
本来は「帰れない場所への痛み」を意味するギリシャ語由来の言葉だが、アグネス・アーノルド=フォースターの著書『ノスタルジアは世界を滅ぼすのか――ある危険な感情の歴史』(月谷真紀訳 東洋経済新報社)が鋭く分析したように、この感情は両義的な力を持っている。
人々に癒しを与え、失われかけた豊かな世界を呼び戻すという点においては、ノスタルジアは現代人にとって不可欠な感情ですらある。
それはマーケットを生み出す力さえ持っているが、政治的に動員されたときには、きわめて危険な力ともなる。
失われた共同体、純粋だった自然、偉大だった「あの時代」への憧憬。
それは実際にあった過去ではなく、理想化された過去への欲望である。
そこでは戦争はいともたやすく、美化された物語へと転化されてしまう。
ロマン派の芸術は永遠に私たちを魅了し続ける。
しかし第二次世界大戦の惨禍のあとで、戦後ドイツの芸術家たちがなぜそこから距離を置かなければならなかったのかを、私たちはもう一度思い起こしてみるべきだろう。

「霧の海の上の旅人」(1818)ハンブルク美術館蔵
