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COLUMN

2026年10月

マタイ受難曲と武満徹と阪神タイガース

​                         林田直樹

10月3日土曜日、川口リリアでアントネッロの《マタイ受難曲》を聴きながら、頭の片隅には阪神タイガースの試合の行方が気にかかっていた。

試合に勝って優勝を決めたかったのだが、惜しくもヤクルトには逆転負けを喫してしまった。それをスマホで知ったのが終演後のことである。

幸い、その日のナイターで2位の巨人が負けたので無事阪神は優勝し、祝勝会のビールかけの模様をYouTubeでその夜はずっと見ていた。

贔屓のチームが優勝するのは何度観てもいいものである。

 

クラシック音楽界で熱狂的な阪神ファンといったら、作曲家の武満徹を忘れてはならない。

1992年の夏、私は都内のホテルのティールームで武満さんと会っていた。

かねてから武満さんが阪神ファンだと聞き及んでいたので、音楽の話がひと段落すると、思い切って野球の話を振ってみた。

「今年の阪神は、亀山と新庄の活躍は素晴らしいですねえ、武満さん」

すると武満さんの顔色が変わり、吐き捨てるように言った。

「本当にどうしようもない。最悪だ。確かに亀山、新庄はいいけれど」

武満さんは阪神の戦いぶりのふがいなさに本気で怒っていた。

あまりにも顔を真っ赤にして怒るので、私は怖くなって早々にこの話題を引っ込めた。

噂以上の熱狂的な虎ファン、武満さんはかなりの重症である。

 

のちに武満眞樹さんに話を聞いたところでは、自宅でテレビで阪神戦を観戦しているときの父は「しょっちゅう画面に向かって口汚く罵声を浴びせかけていた」とのことだ。

あの静かな音楽からは想像もつかない豹変ぶりである。

そんな武満さんが愛し、亡くなる直前にもラジオで聴いていたのが《マタイ受難曲》だったから、阪神の優勝がかかった試合とアントネッロのコンサートが重なったのは、自分には不思議な偶然のようにも感じられた。

草葉の陰で武満さんは阪神タイガースの連覇を喜んでおられるだろうか。

それとも、終盤戦のもたつきを見て、やはり怒っておられるだろうか。

 

1992年の話に戻るが、あの年は阪神はヤクルトとの優勝争いが最後までもつれることになった。

粘る阪神をヤクルトが突き放して優勝をさらわれることになるのだが、その重要な試合が行われているさなかに、ちょうどサントリーホールで開場6周年記念コンサートがあった。

演奏の間も、私はずっと阪神ヤクルト戦のゆくえが気になっていた。

そういう人は多かったようで、終演直後にサントリーホールは場内アナウンスで試合結果を報告するという粋な計らいをしてくれた。

当時はインターネットもスマホも普及していなかったので、試合結果がホールのおかげですぐにわかったのは本当に有難かった。

ヤクルトの優勝が報じられてホールがどよめいた様子は今でもよく覚えている。

クラシック音楽が厚い壁の中に守られた無菌状態の純粋芸術というわけではなく、ホールの外で起きている社会の出来事とも関連しあっている――それを示す端的な例だったと言えるかもしれない。

 

スポーツと音楽のつながりは案外深い。

ファンは応援歌を歌ってチームを応援する文化があるし、声をそろえて気持ちを一つにしながら応援する声には、必ず言葉のリズムがある。

リズムといえば、ピッチングもバッティングも守備も、リズム感が大事である。

良い選手はこのリズム感が美しい。

また、野球では勝負の「流れ」ということが言われる。

目に見えない要素だが、この「流れ」をとらえ、引き寄せることが大事である。

これも音楽的といえば音楽的かもしれない。

 

私にとって、野球とは耳で聞くものでもある。

中学生の頃から私はAMラジオで野球中継を聞くのが大好きだった。

実況アナウンサーの緊迫感ある声、何が起きているかをリアルタイムでライブ感たっぷりに伝えるプロの技、解説者とのやりとりの呼吸…そういったラジオ観戦ならではの声の醍醐味に魅了されていた。

実況中継の声を通して野球場で起きていることを想像することが楽しいのである。

それは、もしかしたら今の仕事にどこかでつながっているかもしれない。

 

父の影響で巨人を応援していた私が、あるときから阪神を応援するようになったのは、大ファンだった小林繁投手が江川騒動を機に突然巨人から阪神に移籍したのがきっかけだった。私も小林投手についていったわけである。

それ以前、幼い頃に大阪に一時期住んでいたことも大いに関係がある。

クラスの男の子たちは全員阪神ファンで、みんな江夏のサウスポーの投げ方を真似していた。それがかっこよかったのだ。

やがて関東に引っ越してから初めて父に連れられて観に行った野球は、巨人戦のチケットがとれなかったこともあり、阪神対ヤクルト戦だった。

そのとき残念ながら江夏投手は南海に移籍していたが、田淵選手はまだ残っていた。

見上げるような高い放物線を描いて一気に勝負を決めた田淵のホームランは少年だった自分の心に深く刺さったのである。

実際にこの目で見るホームランとは、こんなにも美しいものだったのか。

小林投手の移籍以前に、私が阪神ファンになった本当の最初のきっかけはおそらくそこにあった。

幼いときに体験するライブがどれほどその後の人生に影響を与える重要な出来事になりうるか――これもまた音楽と同じである。

 

セ・リーグ連覇を果たすことのできたわが阪神タイガースが、いつか武満さんとも話した新庄を監督とする日本ハムファイターズと日本シリーズで相まみえるときは来るだろうか?

第30回写真.JPG

2024年夏に東京ドームで観戦した巨人対阪神戦にて。一塁側の外野近くから観戦したが、三塁側の阪神ファンの応援の声の威圧感はものすごいものがあった。

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