COLUMN
2024年7月
組織化されない音楽
この7月22日にようやくクリークホールを訪れることができた。
想像以上におしゃれで可愛らしい空間で、明るい木目に囲まれた落ち着きのある雰囲気が、居心地よかった。質の良い静寂がここにはあると思った。
私が持ち込んだ小さなオーディオは、それほど超高級機というわけでもなかったのだが、しっかりといい音で鳴ってくれたのは、ホールの響きの良さもあってのことだろう。
満席のお客様の中には、札幌の音楽関係者はもちろんのこと、わざわざ東京から来られた方もいて、講座のあとも賑やかに話が尽きることがなかった。初めてお目にかかる方ともいろいろ話すことができて、とても楽しかった。
今回の講座のテーマは「人はなぜ、その音を『いい』と感じるのか」。
そこには明確な答えはないけれど、いい音をめぐる私なりの体験と考察を、実例となるようなさまざまな音源をかけながら、思いのままにお話しさせていただいた。
その中で、ジョン・ケージのことについて触れたのは、予想外の好反応だった。
20世紀アメリカの実験音楽家ケージは、演奏者が何もしない静寂をみんなで味わう「4分33秒」という曲で特に知られている。
楽音だけでなくノイズに積極的で豊かな意味を見出だし、これは果たして音楽なのかと思うようなコンセプチュアルな作品をたくさん発表したケージは、音楽史上最大の「音の哲学者」「音の自由人」と言ってもいいような存在である。
1989年から音楽雑誌の編集の仕事を始めたとき、会ってみたい作曲家のトップクラスがケージとピアソラだったのだが、残念ながら二人とも1992年に亡くなってしまった。
残された映像などを見ると、にこやかで芯が強く、人をはっとさせるような知恵の言葉をユーモアに満ちて語る、優しい雰囲気のおじさんである。
そのケージの作品の特徴を大雑把にまとめると、「組織化されない音楽」ということになるだろうか。
人は生きていく以上、組織と関わりを持たないわけには決していかない。
何か大きなことを成し遂げようと思ったら、会社であろうが学校であろうが、財団法人であろうが役所であろうが、組織の力なしにはありえない。
オーケストラも組織だし、都市のコンサートホールも、レコード会社も、音楽事務所、放送局も出版社も、みんな組織である。
芸術作品としての音楽自体にもそういうところがあって、ソナタ形式や変奏曲形式、調性や音階のようなものは、音を大規模でドラマティックなものとして組織化するためのルールである。
そういうものからいったん離れて自由になってみようよ、とケージは促してくれたのだと思う。
もちろん、全くの無秩序、カオスというわけにはいかない。
ちょっとした工夫や、新しいアイディアをもとに、組織に属さずにしなやかな距離を持ち、組織を内在化・硬直化させない形でのクリエーションもありうるのだということを、ケージの音楽は示している。
緻密で完全であろうとすることへの無慈悲なまでの執着からも離れて、壊れ物のままでも面白いじゃないかと提案してみせたのもケージである。
それは音楽だけの問題ではなく、生き方の問題でもある。
プライヴェートな個人の領域に音楽の創造の場を取り戻そうとするクリークホールでの最初の講座の機会に、そんなケージの話をできて良かったと思っている。
林田直樹

クリークホールの楽屋への階段の途中にある小窓。ちょっとした遊び心が楽しい
