COLUMN
2025年11月
メディアは音楽に何をもたらすのか
今年はショパン・コンクールの年であったが、その後味は必ずしも良いものではなかったとの意見を、現地取材してきたあるピアニストから聞いた。
優勝したエリック・ルーは確かに素晴らしいピアニストだが、既に他の有名コンクールで優勝してメジャー・デビューを果たしており、いまさらなぜショパン・コンクールに出場するのか理解できないとアンドラーシュ・シフは語っていた。
その通りだと思う。しかしエリック・ルーにとって必要だったのは、もっとたくさんの人々に自分の演奏を聴いてもらうための、さらなる晴れ舞台だったのだろう。
それを言い換えるならプロモーションである。
しかも現代のショパン・コンクールはYouTubeを介して何十万人もの人が視聴する。10年前、20年前とはネットの影響力が格段に違う。
いつの時代でも、クラシックのアーティストにとって、メディアはどうしても味方につけておきたい武器のようなものである。
かつて「クラシック界の帝王」と呼ばれていた指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンは、当時の他のどの指揮者にもまして、メディアを積極的に活用していた。
ドイツ・グラモフォンという権威あるレーベルで膨大な量のレコーディングをおこない、映像収録も積極的におこなった。カメラワークには徹底的にこだわり、オーケストラを率いる偉大な芸術家としての自らの姿を映像に記録させることに執念を燃やした。
レオポルド・ストコフスキーもメディア型の指揮者であった。映画「ファンタジア」への登場、録音技術への積極的関与など、実験精神に富むサウンド・クリエイターの先駆者ともいえるだろう。
高齢で引退しかかっていたアルトゥーロ・トスカニーニがNBC交響楽団を指揮するようになったのは、放送メディアを通じて全世界の数百万の人々に音楽を届ける可能性に心を動かされたからである。
録音や放送が登場する以前の時代は、ベートーヴェンにせよショパンにせよ、音楽家たちにとっては楽譜出版こそが最大のメディアだった。
たとえばメンデルスゾーンにとって作品の完成とは、初演のコンサートを意味しない。それはあくまで一つのプロセスに過ぎず、さらに推敲して楽譜出版することこそが完成だったという。
バッハをはじめとする過去の作曲家たちの楽譜を研究していたメンデルスゾーンらしい考え方と言えるだろう。楽譜とは時空を超えて伝わっていくものなのだ。その影響力は、一夜のコンサートの比ではない。
ヴィヴァルディにせよコレッリにせよ、18世紀に彼らの音楽が全ヨーロッパで人気を勝ち得たのは、たとえばアムステルダムの楽譜出版社から印刷された楽譜が売れたからである。
楽譜というメディアは音楽を遠くまで運ぶことができるのみならず、音楽そのものを耳の記憶だけでは不可能な次元にまで複雑緻密なものへと発展させた。
それは、伝播していくことによって、音楽家の成長をもたらす宝物でもあった。
生涯ドイツにいて留学経験などなかったバッハがイタリアやフランスの音楽様式を学ぶことができたのは、楽譜を通してである。
16世紀のパレストリーナについても同じことが言える。フランドル楽派のジョスカン・デ・プレのポリフォニー技法をイタリアにいながらにして学ぶことができたのは、やはり楽譜があったからである。
そう考えてみると、15世紀半ばにグーテンベルクが活版印刷を発明し、ついで楽譜印刷が普及しはじめたことは、音楽の発展に決定的な影響をもたらした一大メディア革命であった。
インターネットの爆発的な普及と高度化、さらにはAIの登場によって音楽の未来は一体どうなっていくのか――それを考えるときに、メディアが音楽に何をもたらしてきたのかを、500年くらい遡って参照してみるのも面白いのではないだろうか。
林田直樹

ミュシャ「スラヴ叙事詩」より「イヴァンチッチェでの聖書の印刷 — 神は我らに言葉を与え給うた」。チェコおよびスラヴ民族の歴史を描いた連作の中で「印刷」というメディアを取り上げた意味は大きい。
