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COLUMN

2025年10月

年を重ねるということ

内田光子のピアノ・リサイタルに出かけた(10月28日サントリーホール)。

曲はベートーヴェンのいわゆる後期三大ソナタ。

ずいぶん内田さんの演奏を聴いてきたけれど、そのたびに「これまでで一番良かった」と思う。

だが今回は特別だった。

 

なぜなら、明らかに「年輪」を感じさせるところがあったから。

ミスタッチが増えたことをとやかく言う人もいるだろうが、それ以上にポジティヴな意味で、音楽の深みにおいて、経験を積み重ねた真のアーティストだけが達することのできる、比類ない領域に到達していた。

 

たとえば、第32番ハ短調作品111におけるトリルの扱い。

第1楽章の提示部で、低音域のトリルから、決然とデモーニッシュな第1主題が現れるところ。あのトリルが、あんなにも――まるで不気味な地鳴りのように底知れぬ恐怖をもって演奏されたことは、いまだかつてなかったのではないか。

第2楽章の後半に頻出する、さまざまなトリルの交差と主題の応答は、天国へと魂が上昇していくときの幾層もの雲の見える風景のように自由で豊かであり、ピアノのために書かれた音楽における、究極の姿だと思った。

それにしても、感慨深く静かに奏される主題の、何という美しさだったことだろう。

ピアノに何か特別なチューニングを施しているのではと思うほど、弱音に透明感があり、サントリーホールの隅々にまでその静粛な輝きが満ち渡るようだった。

家に帰ってから、2005年録音の同じ曲のCDを聴いてみたが、全く別人のような演奏で、再び驚かされた。

20年も経過しているから当たり前なのだが、その変貌ぶりはとてつもなく大きい。

以前の録音は若々しい精密なピアニズムが際立っているが、今回のリサイタルでは、より深く、より豊かに、より遠くへと行こうとしている感じだった。

 

内田さんのピアノについて、村上春樹が鋭い指摘をしていたのを昔どこかで読んだことがある。

それはシューベルトのピアノ・ソナタについてだったが、音楽の小ささに比べて、内田さんの演奏の言おうとしていることが大きすぎる、すなわち「やりすぎ」であって、自分は最終的に内田さんの演奏を「採らない」というものであった。

 

言わんとすることはよくわかる。

たとえばモーツァルトのハ長調のピアノ・ソナタK.545の第2楽章。

何の変哲もない子供の練習曲のようなあの曲でさえ、内田さんは以前のリサイタルのアンコールで、まるで霧の中の夢のように、この世の出来事ではないかのように弾いてみせたことがあった。

それをも村上春樹は「やりすぎ」と言うに違いない。

どちらが正しいというわけでもない、それは両者の芸術観の決定的な違いだろう。

 

20年ほど前にロンドンの内田さんの自宅を訪ね、ピアノのある練習室でインタビューをさせていただいたことがあった。

そのときに内田さんは、タクシーでホテルを出る前に、必ず電話してから来るようにと言った。

その理由は、私たち取材陣の到着する時間ぴったりに合わせて、紅茶を淹れたいからということだった。

 

内田さんの家に着くと、アンティークのマグカップにたっぷり注いだ熱い紅茶が用意されていた。

それを一口飲んで、私は驚嘆した。

いわゆるブラックティーの色の濃さはまったくない、これが本当に紅茶なのかと思うような薄い色なのに、味も香りも極限まで引き出されている。

茶葉の選択から、温度や抽出時間など、あらゆる点において徹底的にこだわった、こんなにもすごい紅茶をあれ以来私は飲んだことがない。

あのこだわり、あの徹底こそが、内田さんの音楽なんだと思った。

 

最初に「年輪」と書いたけれど、音楽を誰よりも徹底して突き詰めて、探求して、自らが弾いている音を、とことん味わっている内田さんの姿は、昔も今も全く変わらない。

ロンドンに暮らしながらも、毎年サントリーホールに帰ってくる内田さんの生演奏は、ますますかけがえがない。

私が足を運んだリサイタルでは録音がおこなわれていたので、もしかしたらNHK-FMなどで放送があるのかもしれないが、機会があればぜひ実演に接していただけたらと思う。

第19回写真.JPG

10月末まで都心の住宅街ではキンモクセイの花が甘い香りを漂わせていました。冷たい雨で散ってしまい、秋もすっかり深まりました。

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